JW11【神武東征編】EP11 芸北旅情
安芸国(あき・のくに:今の広島県西部)に滞在中の狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)一行は、各地に稲作技術教育や灌漑工事をおこなっていた。
そんな中、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと) (以下、イツセ)の陣所という地を紹介させてもらった。
広島市安芸区瀬野の生石子神社(ういしごじんじゃ)である。
その時、目の周りに入れ墨をした大久米命(おおくめ・のみこと)が疑問を呈してきた。
大久米(おおくめ)「この地で、イツセ様は何をしていたのか、『記紀』も伝承も、何も語ってないんすけど、単独行動をしていたことは間違いないっすよね? その目的は何だったんすか?」
ここで、次兄の稲飯命(いなひ・のみこと)と三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)が解説を始めた。
稲飯(いなひ)「そこで、この物語では、大胆な推理をしてみたじ。イツセの兄上は、出雲(いずも)の勢力と政治的な交渉をおこなっていたんではないやろか。」
ミケ「と言うのも、広島県北部、芸北地方(げいほくちほう)に残る伝承に、出雲に協力を要請し、物資を取り寄せたというものがあるんや。」
サノ「兄上、そんな伝承があるのですか?」
稲飯(いなひ)「じゃが(そうだ)。それが広島県庄原市(しょうばらし)高町(たかまち)の吉備津神社(きびつじんじゃ)の境内にある今宮神社(いまみやじんじゃ)の伝承やじ。前回、紹介させてもらった『神武天皇聖蹟誌』に、こう書かれちょる。」
<貴重なる関係文書なきため詳細不明なるも、古老の言によれば、広島にご滞在中、当地方まで御巡遊ある中に、出雲方面との関係を生じ、当地にその間、数度御足を止められ御視察あり、物資を出雲方面より御取り寄せ遊ばさる。>
稲飯(いなひ)「この文言を見てみると、“出雲方面との関係を生じ”というのが、出雲との接触ないし交渉をおこなったということやな。」
ミケ「そして、“物資を出雲方面より御取り寄せ”ということは、出雲が協力を承諾したと受け取れるんや。」
稲飯(いなひ)「まあ、古老の話による・・・ということやかい(だから)、本当に語り継がれていたのか、この老人の妄想なのかは判然としないところやが・・・。」
大久米(おおくめ)「県北部に伝わる、それ以外の伝承はどうなんすか? 出雲と関わりのある話が残ってるかもしれないっすよね?」
ミケ「さすがは、大久米! 今回は、そういった視点で見ていきたいと思うんやじ。」
ここで、サノの妃、興世姫(おきよひめ)と剣根(つるぎね)の息子、夜麻都俾(やまとべ)(以下、ヤマト)が解説に加わった。
興世(おきよ)「まず、広島市安佐北区(あさきたく)の亀山にある船山神社(ふなやまじんじゃ)を紹介したいと思いまする。」
大久米(おおくめ)「確か、この地にも、サノ様の上陸伝承があるんすよね?」
興世(おきよ)「その通りです。海から遠く離れた船山に停泊したということは、川を遡ったということでしょう。」
大久米(おおくめ)「なるほど。それで船山という地名なんすね。」
ヤマト「すぐ傍には、帆待川(ほまちがわ)という川が流れておる。」
稲飯(いなひ)「それだけじゃないっちゃ。帆待川から東へ600メートルほどいったところには、太田川(おおたがわ)の支流である根の谷川(ねのたにがわ)も流れておる。」
大久米(おおくめ)「どちらかの川を遡って、船山に来たってことか・・・。」
ミケ「我(われ)は帆待川を通って船山に向かい、そこで一泊したあと、根の谷川に向かったと思っちょる。」
ミケ「根の谷川を遡っていくと、広島県安芸高田市(あきたかたし)に辿り着くんや。」
大久米(おおくめ)「その安芸高田市が、出雲と関係あるんすか?」
ミケ「実は、安芸高田市の八千代町上根(やちよちょうかみね)は、かつて『根村(ねむら)』と呼ばれておって、素戔嗚尊(すさのお・のみこと)が住んだ『根の国』と伝えられてきた土地なんやじ。」
興世(おきよ)「ちなみに、素戔嗚尊(すさのお・のみこと)とは、出雲にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した伝説で有名な神様のことにござりまする。」
大久米(おおくめ)「補足説明、かたじけないっす。」
ヤマト「では、出雲の君主、伊佐我(いさが)殿も、安芸高田市の上根に住んでいたということにござりまするか?」
ミケ「そこまでは断定できんが、安芸高田市に流れる可愛川(えのかわ)の上流には、八岐大蛇伝説もあるかい(から)、芸北地方が出雲の勢力圏だった可能性は高いんやないかと・・・。」
大久米(おおくめ)「ちょっと待ってください。八岐大蛇伝説は、出雲の宍道湖(しんじこ)に注ぐ、斐伊川(ひいがわ)上流のことっすよ。」
ミケ「それが通説やが、『日本書紀』の別の説には、安芸国(あき・のくに)の可愛川(えのかわ)上流という記載もあるんや。」
稲飯(いなひ)「じゃが(そうだ)。書記編纂当時から、否定できない説の一つとして存在しちょるんやじ。上根から北へ5キロほど山中に踏み入れば、可愛川上流に行きつくしな・・・。」
興世(おきよ)「ちなみに、可愛川は、やがて日本海に注ぐ『江(ごう)の川』となりまする。」
大久米(おおくめ)「でも、ちょっと無理が有るんじゃないんすかね。」
ヤマト「それはどういうことじゃ?」
大久米(おおくめ)「可愛川の八岐大蛇伝説と船山の伝承を結び付けるのは、無理が有るってことっす。」
ヤマト「確かに、大久米の言う通りじゃ。」
ミケ「そんなことはないっちゃ。可愛川沿いに位置する、安芸高田市吉田町川本には、埃ノ宮神社(えのみやじんじゃ)があるんやかい(だから)。」
稲飯(いなひ)「じゃが(そうだ)。この神社こそ、『日本書紀』に書かれた埃宮(え・のみや)であるという由緒を持つ神社っちゃ。」
興世(おきよ)「サノ様の行宮(あんぐう:仮の御所)ですね。」
大久米(おおくめ)「なるほど。それらのことを考えると、先述の船山の伝承は、可愛川上流を目指す途上で立ち寄った土地ってことになるのか。」
ミケ「じゃが(そうだ)。そうに違いないっちゃ。」
稲飯(いなひ)「埃宮を安芸高田市吉田町川本に設置したのは、出雲と連絡を取るためだったと、作者は考えておる。」
大久米(おおくめ)「出雲と連絡を取るために、この地までやって来たと?」
ミケ「じゃが(そうだ)。」
大久米(おおくめ)「なるほど。そして、イツセ様は、交渉を進めるため、事前に動いていたというわけか・・・。」
ミケ「そう考えちょる。そのために生石子神社(ういしごじんじゃ)に陣所を置き、独自に動いていたんやないかと・・・。」
怪しい男「いい線いっちょると思うぞ。」
稲飯(いなひ)「だ・・・誰や?! 汝(いまし)は誰や?!」
怪しい男「わしか? わしが、出雲の君(きみ)、伊佐我(いさが)じゃ。」
突然の出雲の君主登場に、サノが驚きながら、声をかけた。
サノ「こ・・・これは、伊佐我殿。お初にお目にかかりまする。サノにござる。」
伊佐我(いさが)「貴殿がサノ殿か。新しき国造りに励んでおるとか?」
サノ「さ・・・左様。されど、まさか、御貴殿が、ここまで足を運ばれるとは・・・。」
伊佐我(いさが)「待ちきれず、来てしまったぞ。まあ『記紀』にも登場せんし、ここで現れても問題ないだらあ(だろう)?」
サノ「問題は有りませぬが・・・。」
大久米(おおくめ)「じゃあ、伊佐我様! ついでに解説も御願いします!」
サノ「なっ!? 何を言っておるのじゃ、大久米! この方は、一国の君主じゃぞ!」
伊佐我(いさが)「まあ、良いではないか。ちょっこし(少し)退屈しておったところだ。」
サノ「で・・・では、よろしいのですか?」
伊佐我(いさが)「ええぞ。」
ミケ「では、芸北地方についての説明を御願いするっちゃ。」
伊佐我(いさが)「うむ。語ろうぞ。」
こうして、出雲の君主を迎え、解説は更に盛り上がるのであった。
つづく