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狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)たち天孫一行は、安芸国(あき・のくに:今の広島県西部)に到着した。

 表題

 「古事記」においては、七年も滞在したと記録されており、これは水稲耕作(すいとうこうさく)の伝播と灌漑工事のためだと考えられる。


 サノ「じゃが(そうだ)。陸稲(りくとう)から水稲に換えるよう指導したのじゃ。」

 
 ここで、三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)と、博学の天種子命(あまのたね・のみこと)が解説を始めた。


 ミケ「そんなわけで、今回は、技術伝播に基づく視察事業について触れたいと思うっちゃ。」


 天種子(あまのたね)「我々は、安芸国の各地を巡りながら、水稲耕作の方法を教え、灌漑工事を進めていったんや。」


 ミケ「県内最大の穀倉地帯である、東広島市の西条地区に、我々が立ち寄ったという伝承が残っているじ。」


 西条
 西条2

 天種子(あまのたね)「宮島(みやじま)にも訪れているようで、島の南端に位置する須屋浦(すやうら)に上陸し、しばらく滞在したとの伝承もあらしゃいます。」


 宮島1
 宮島2
 宮島3
 
 ここで、サノの側室、興世姫(おきよひめ)も解説に加わった。


 興世(おきよ)「厳島神社(いつくしまじんじゃ)も、サノ様の時代に鎮座したとされているので、このときに、祀られたものかもしれませんね。」


 厳島神社1
 厳島神社2
 厳島神社鳥居

 サノ「実際、島内の山腹には、巨石を用いた祭祀の痕跡も有り、古代祭祀の面影を残している。もしかすると、我らが祭祀をおこなったのかもしれぬぞ。」


 興世(おきよ)「断言なさらないのですね? もしかして、ロマンを大事にするためですか?」


 サノ「じゃが(そうだ)。ロマンを奪ってはならぬ。」


 ミケ「ちなみに、これらの情報は、
1940年(昭和15)の皇紀2600年記念事業の一環で神武天皇聖蹟調査がおこなわれ、広島県が発行したものによるじ。その名も『神武天皇聖蹟誌』っちゃ。」


 サノ「兄上、たくさんの聖蹟地があったようですな。」


 ミケ「じゃが(そうだ)。上陸地点すら、何か所もあったぞ。」


 興世(おきよ)「まずは、廿日市市(はつかいちし)から見てみましょう。前回紹介した、地御前神社(じごぜんじんじゃ)ですが、何年目のことかは分かりませぬが、
617日に、厳島神社の管弦祭(かんげんさい)、すなわち音楽祭の際、高波が起きたため、この地に船を係留したとも伝わっておりまする。」


 地御前
 地御前神社1
 地御前神社2
 地御前神社3

 ミケ「それだけではないっちゃ。同市の串戸(くしど)にある広田神社(ひろたじんじゃ)には、サノが戸を開き、玉串(たまぐし)を奉ったことにより、串戸と名付けられたという伝承があるじ。」


 広田神社1
 広田神社2
 広田神社3
 広田神社4
 広田神社拝殿

 天種子(あまのたね)「ちなみに、玉串とは、木綿(ゆう)や紙垂(しで)という紙製の飾りをつけた榊(さかき)の枝のことにあらしゃいます。」


 玉串

 興世(おきよ)「宮内(みやうち)という地域には、宮内天王社(くないてんのうしゃ)という神社がありまする。この地は、御手洗川(みたらいがわ)に沿って遡上してきた我々が上陸し、宮を作った故事から、宮内と呼ばれるようになったそうですよ。」


 宮内天王社1
 宮内天王社2
 宮内天王社3
 宮内天王社拝殿

 サノ「次は広島市を見てみようぞ。」


 興世(おきよ)「広島市井口(いのくち)の井口大歳神社(いのくちおおとしじんじゃ)も上陸地点の一つで、この神社の前に船をつなぎ泊めたそうですよ。」


 井口大歳神社1
 井口大歳神社2
 井口大歳神社3
 井口大歳神社4
 井口大歳神社拝殿

 ミケ「同市西区田方(たかた)の草津八幡宮(くさつはちまんぐう)も、近くまで入り江があったと伝わり、西側には行宮(あんぐう:仮の御所)もあったそうやじ。」


 草津八幡宮1
 草津八幡宮2
 草津八幡宮3
 草津八幡宮拝殿

 天種子(あまのたね)「同区古江東町(ふるえひがしまち)の新宮神社(しんぐうじんじゃ)にも上陸伝説がありまする。」


 新宮神社1
 新宮神社2
 新宮神社3
 新宮神社拝殿

 ミケ「江田島(えたじま)などにも足を延ばしているようなので、その時々の上陸地点に社が建てられたのかもしれぬな。」


 サノ「兄上、江田島については次回ですか?」


 ミケ「今回で全てを紹介するのは難しいであろう。次回になるやろうな。」


 サノ「承知致しました。」


 江田島

 ここで、筋肉隆々の日臣命(ひのおみ・のみこと)と椎根津彦(しいねつひこ) (以下、シイネツ)も解説に参加した。


 日臣(ひのおみ)「ただ立ち寄っただけ・・・という地点もあるっちゃ。」


 シイネツ「広島市佐伯区の五日市町石内(いつかいちちょういしうち)の臼山八幡神社(うすやまはちまんじんじゃ)やに。」


 臼山八幡神社1
 臼山八幡神社2
 臼山八幡神社3
 臼山八幡神社拝殿

 日臣(ひのおみ)「それだけじゃないっちゃ。同市安佐北区亀山の天王神社(てんのうじんじゃ)にも立ち寄ったという伝承が残ってるんやじ。」


 天王神社1
 天王神社2
 天王神社3
 天王神社4
 天王神社拝殿

 ミケ「休憩でもしたのか?」


 シイネツ「まあ、そんな感じでしょうな。」


 天種子(あまのたね)「いろいろ廻り過ぎて、覚えておられぬようですな。」


 サノ「我(われ)は全て覚えておるぞ。」


 天種子(あまのたね)「さすがは我(わ)が君(きみ)にあらしゃいます。」


 日臣(ひのおみ)「さて、解説の続きを致しまするぞ。東広島市にも来訪伝承地があるじ。」


 興世(おきよ)「福富町(ふくとみちょう)上竹仁(かみだけに)の森政神社(もりまさじんじゃ)のことですね。」


 森政神社1
 森政神社2
 森政神社3
 森政神社拝殿

 日臣(ひのおみ)「もうひとつあるっちゃ。西条町(さいじょうちょう)寺家(じげ)の新宮神社(しんぐうじんじゃ)っちゃ。」


 新宮神社寺家1
 新宮神社寺家2
 新宮神社寺家3
 新宮神社寺家4
 新宮神社寺家拝殿

 シイネツ「新宮神社の手水石(ちょうずいし)は、サノ様の腰掛石(こしかけいし)と伝わっているんやに。ちなみに、手水とは、手と口を洗い清めることで、その場所の石として利用されているみたいっちゃ。」


 新宮神社寺家手水石

 ミケ「いろいろ廻っていたのだな。」


 興世(おきよ)「かなりですね。なかなかの量で、調べるのがつらかったと、作者も言っておりましたよ。」


 天種子(あまのたね)「読み方も、難しかったみたいですなぁ。」


 ミケ「地元特有の読み方もあるかい(から)、それは仕方なか。」


 シイネツ「じゃっどん、なして(なぜ)こんなにたくさんの所を廻っておられるのですか?」


 サノ「稲作に適した土地、そうでない土地、つぶさに見て、ここに必要なのは、どれなのか・・・。視察して決めていったのじゃ。」


 シイネツ「なるほど。」


 EP10全体図
 
 ここで、目の周りに入れ墨をした大久米命(おおくめ・のみこと)が質問を投げかけてきた。


 大久米(おおくめ)「我が君! 一つ教えてくれませんか?」


 サノ「何じゃ?」


 大久米(おおくめ)「広島市の市街地と東広島市の中間地点にあたる、広島市安芸区瀬野(せの)というところに、生石子神社(ういしごじんじゃ)というのがあるんすけど・・・。」


 生石子神社

 サノ「ああ、イツセの兄上が陣所を置いていたところか・・・。」


 大久米(おおくめ)「そうっす。瀬野という地名も、彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)が語源なんだとか・・・。」


 興世(おきよ)「瀬・・・しか合ってないけど・・・。」


 大久米(おおくめ)「そこは別に気にしてないっす。それより、どうしてイツセ様だけの陣所が有るんすか? 単独行動してたってことっすか?」


 ミケ「それについては、次回、説明するっちゃ。ぜってい、見てくれよな!」


 サノ「兄上?」


 大久米(おおくめ)「何で?」


 興世(おきよ)「言いたかっただけでは・・・。」


 そこへ、話題の人物、彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと。以下、イツセ)がやって来た。


 イツセ「サノよ。ただいま帰還したぞ。」


 サノ「兄上! 御足労をお掛け致しまする。首尾の方は如何(いかが)相成りましたか?」


 イツセ「上首尾や。そろそろ、汝(いまし)が動かにゃならんぞ。」


 サノ「ついに来ましたか。」


 大久米(おおくめ)「ちょっと、サノ様! 俺の質問に答えてくれないんすか!」


 サノ「安心致せ。次回、説明するとミケの兄上も申していたであろう。」


 大久米(おおくめ)「そんなぁ!」


 ミケ「大久米よ。安心せい。次回には分かるっちゃ。ぜってい、見てくれよな!」


 興世(おきよ)「ミケ様・・・。絶対、言いたかっただけですよね?」

 
 次回は、広島県北部の芸北地方(げいほくちほう)に残る伝承をもとに、話を進めていきたいと思う。

 つづく