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前回は三毛入野命(みけいりの・のみこと)のエピソードを紹介させてもらった。
 
 今回から、再び狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行の物語に戻ろうと思う。


 今回の舞台

 一行は、熊野の神による試練を乗り越え、天照大神(あまてらすおおみかみ)や武甕雷神(たけみかづちのかみ)との邂逅を果たした。

 牟婁崎1

 そして今、饒速日命(にぎはやひ・のみこと)の息子、高倉下(たかくらじ)が、説明を始めようとしていた。


 高倉下(たかくらじ)「す・・・すみませぬ。私が祀(まつ)られている神社を紹介してもよろしいでしょうか?」


 サノ「いっちゃが、いっちゃが(いいよ、いいよ)。汝(いまし)は命の恩人ぞ。どんどん紙面を使ってくんない(ください)。」


 高倉下(たかくらじ)「あの・・・和歌山県は新宮市(しんぐうし)に、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)という神社がありまする。」


 現在地と熊野速玉大社
 熊野速玉大社大域
 熊野速玉大社中域
 熊野速玉大社中域2
 熊野速玉大社小域
 熊野速玉大社小域2
 熊野速玉大社鳥居
 熊野速玉大社

 サノ「そこが、汝(いまし)の祀られておる神社なのじゃな?」


 高倉下(たかくらじ)「いいえ、違いまする。」


 サノ「ん?」


 高倉下(たかくらじ)「そこから・・・ええ、ですから、二千年後で言うと・・・。」


 ここで痺(しび)れを切らした日臣命(ひのおみ・のみこと)が解説を横取りした。


 日臣(ひのおみ)「熊野速玉大社から、南に約
1キロの地点に、神倉山(かみくらさん)という山があるっちゃ。そこに鎮座する、神倉神社(かみくらじんじゃ)のことやじ。」


 熊野速玉大社から神倉神社
 熊野速玉大社と神倉神社

 高倉下(たかくらじ)「そ・・・その通りです。神倉山とは、以前、サノ様が登られた天磐盾(あまのいわたて)のことにござりまする。」


 神倉山1
 神倉山2

 サノ「ああ、あの大きい岩があった山じゃな。」


 天磐盾

 日臣(ひのおみ)「かつては、あの岩を祀ってたみたいっちゃ。じゃっどん、そののち遷座(せんざ)されたそうでして、その折に、高倉下と天照大神が祀られることになったみたいっちゃ。社殿も、その時に建てられたんやじ。」


 天磐盾2

 高倉下(たかくらじ)「そ・・・その通りです。もともとは・・・。」


 日臣(ひのおみ)「そう! もともとは熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)が祀られてたんやじ。」


 サノ「日臣っ! 汝(いまし)が説明するところではなかろう! 高倉下殿に説明させよ!」


 日臣(ひのおみ)「も・・・申し訳ないっちゃ。」


 高倉下(たかくらじ)「で・・・では、説明させていただきまする。熊野速玉大神は伊弉諾尊(いざなぎ・のみこと)と言われておりまする。熊野夫須美大神は伊弉冉尊(いざなみ・のみこと)と言われておりまする。」


 サノ「そんな大御所が祀られておったのに、なして(なぜ)遷座したのじゃ?」


 高倉下(たかくらじ)「すみませぬ。分かりませぬ。不器用・・・ですから。」


 サノ「いっちゃが(いいよ)。仕方なか。それで、移った場所が、今の熊野速玉大社なのじゃな?」


 高倉下(たかくらじ)「そ・・・その通りです。ですから、熊野速玉大社は新宮(しんぐう)、神倉神社は元宮(もとみや)と呼ばれておりまする。」


 神倉神社から熊野速玉大社へ

 ここで目の周りに入れ墨をした大久米命(おおくめ・のみこと)が乱入してきた。


 大久米(おおくめ)「ちなみに、遷座された年は、景行天皇(けいこうてんのう)
58年っす。西暦に直すと128年っすよ。」


 サノ「我らの時代より、ずっとあとか。では、我らが来た頃は、岩しかなかったということか?」


 大久米(おおくめ)「その通りっす!」


 サノ「高倉下殿。それでは、汝(いまし)が祀られたのは、
128年から・・・ということで、良いのじゃな?」


 高倉下(たかくらじ)「そ・・・その通りです。不器用・・・ですから。」


 サノ「不器用かどうかは、よく分からぬが、一つだけ分かったことがある。」


 高倉下(たかくらじ)「そ・・・それは、どういうことでしょう?」


 サノ「我らに試練を与えた熊野の神は、伊弉諾尊か伊弉冉尊だったかもしれぬ、ということじゃ。」


 高倉下(たかくらじ)「そ・・・それはどうでしょうか?」


 サノ「なっ?! 違うのか?」


 高倉下(たかくらじ)「く・・・熊野三山(くまのさんざん)と言って、他にも二つの神社がありまする。熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)と熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)がありまして・・・。つ・・・続きは、日臣殿・・・御願い致しまする。」


 日臣(ひのおみ)「御要望に応えて、説明するっちゃ。熊野三山には、先ほどの二柱(ふたはしら)の神様だけでなく、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)という神様も祀られてるっちゃ。こちらの神様は素戔嗚尊(すさのお・のみこと)と言われてるっちゃ!」


 熊野三山

 サノ「結局、汝(いまし)が説明するのか・・・。」


 日臣(ひのおみ)「そんなこつ、言われても・・・。」


 サノ「それでは、あの試練を与えたのは、素戔嗚尊かもしれぬということか? 高倉下殿?」


 高倉下(たかくらじ)「あの・・・いろいろ説がありまして、家都美御子大神は五十猛神(いたけるのかみ)とも、菊理媛神(くくりひめのかみ)とも言われておりまする。熊野夫須美大神についても、熊野櫲樟日命(くまのくすび・のみこと)という説が有りまする。熊野速玉大神についても、速玉男命(はやたまのお・のみこと)という説が有りまする。」


 熊野三山完全版

 サノ「諸説有りか・・・。それでは、まとめて、御先祖様からの試練だったとしておこうぞ。」


 大久米(おおくめ)「ちなみに、五十猛神は、素戔嗚尊の息子。菊理媛神は、北陸地方の白山(はくさん)に祀られてる神。熊野櫲樟日命は、素戔嗚尊が天照大神の勾玉から生み出した神。速玉男神は、伊弉諾尊が黄泉(よみ)の国で生んだ神っす。」


 高倉下(たかくらじ)「あの・・・天磐盾(あまのいわたて)の岩についても、説明がありまして・・・。」


 サノ「では、そちらの解説も頼もうぞ。」


 次回、天磐盾についての解説がおこなわれる。