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2022年02月

JW12【神武東征編】EP12 出雲と鬼と

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 芸北地方(げいほくちほう:広島県北部)を訪れた狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)たち天孫一行。

 表題

 その理由は、出雲との接触および交渉にあったと推理してみた。

 今回は、出雲の君主、伊佐我(いさが)も交えて、更に推論を進めていきたいと思う。

 
 というわけで、三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)が、出雲の君主、伊佐我(いさが)に解説の協力を依頼した。


 ミケ「では、芸北地方についての説明を御願いするっちゃ。」


 伊佐我(いさが)「うむ。語ろうぞ。まず、広島県の北部だが、前回、三毛入野(みけいりの)殿が申していた通り、当時は、我(わ)が出雲の勢力圏にあった可能性がある。」


 それを聞いて、博学の天種子命(あまのたね・のみこと)が伊佐我に尋ねた。


 天種子(あまのたね)「伊佐我様も、そう仰られまするが、何か根拠があらしゃいますか?」


 伊佐我(いさが)「根拠ならあるぞ。埃ノ宮神社(えのみやじんじゃ)から南へ
2キロほど行ったところに、稲山墳丘墓(いなやま・ふんきゅうぼ)があるんだに。」


 稲山墳丘墓へ
 埃ノ宮神社と稲山墳丘墓
 稲山墳丘墓
 稲山墳丘墓2
 稲山墳丘墓調査

 ここで、サノの妃、興世姫(おきよひめ)と目の周りに入れ墨をした大久米命(おおくめ・のみこと)、更に小柄な剣根(つるぎね)も解説に加わった。


 剣根(つるぎね)「
2013年(平成25年)に見つかった、弥生時代末期の遺跡ですな。確か、墓の形式が、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)でしたな?」

 四隅突出型墳丘墓

 伊佐我(いさが)「そげだ(そうだ)。『四隅~』は山陰地方や北陸地方などの日本海側に見られる墓の形式で、出雲の勢力圏ないし文化圏を特徴づけるものではないかとの説もあるんだに。」


 興世(おきよ)「ちなみに、埃ノ宮神社(えのみやじんじゃ)は、サノ様の行宮(あんぐう:仮の御所)の埃宮(え・のみや)と言われておりまする。」


 剣根(つるぎね)「補足説明、痛み入りまする。」


 大久米(おおくめ)「じゃあ、伊佐我様やミケ様が言う通り、芸北地方一帯が、出雲の勢力圏だった可能性は高いってことか。」


 伊佐我(いさが)「出雲と直接的なつながりがあるかどうかは、今後の調査次第だが、埃ノ宮神社(えのみやじんじゃ)の一帯が、日本海文化圏に組み込まれていたのは間違いなかろう。」


 天種子(あまのたね)「出雲と交渉をする上でも、格好の地にあらしゃいますな。」


 興世(おきよ)「ちなみに、『日本書紀』の記述によれば、埃宮(え・のみや)に到着したのは
1227日とのことで、まだ冬の時期にござりまする。伊佐我様は、これをどう考えられまするか?」


 伊佐我(いさが)「雪道を進んでまで、山深い地に来ておるんだけん(だから)、それ相応の理由があったと見るべきであろうな。」


 剣根(つるぎね)「前回紹介した、庄原市(しょうばらし)の今宮神社(いまみやじんじゃ)の伝承が原因でしょうな。」


 今宮神社0
 今宮神社1
 今宮神社2
 今宮神社3
 今宮神社5

 大久米(おおくめ)「物資の協力を依頼したという伝承っすね?」


 剣根(つるぎね)「そうじゃ。」


 伊佐我(いさが)「ちなみに、庄原市は埃ノ宮神社のある安芸高田市よりも北に位置し、出雲にも近い。ここが物資の集積場であった可能性は高いな。」


 出雲と今宮神社
 埃ノ宮神社と今宮神社

 ミケ「また、交渉そのものをおこなった場所の可能性もあるっちゃ。交渉を通じて、出雲から鉄や食料などの援助を求めたのかもしれん。もしかすると、人員の要請もしていたかもしれないっちゃ。」


 伊佐我(いさが)「だが、交渉が順調に進むとは限らんぞ。交渉成立まで、いろいろといざこざがあったようだに。」


 サノ「いざこざ・・・。」


 大久米(おおくめ)「どういうことっすか?」


 伊佐我(いさが)「ここに興味深い話がある。広島県庄原市(しょうばらし)の高野町南(たかのちょう・みなみ)という地域に、大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)という神社があるんだが、そこには、サノ殿たちによる鬼退治の話が伝わっちょるんだに。」


 出雲と大宮八幡宮

 ミケ「鬼城山(きじょうさん?おにしろやま?)の埴土丸(はにつちまる)という鬼神の伝説っちゃね?」


 大宮八幡宮と今宮神社
 大宮八幡宮と鬼城山
 大宮八幡宮1
 大宮八幡宮2
 大宮八幡宮3
 大宮八幡宮門
 大宮八幡宮拝殿

 伊佐我(いさが)「そげだ(そうだ)。埴土丸が数多の賊を養い、近隣住民に害を及ぼしていたという伝説だっちゃ。この地域は、一つ山を越えれば、出雲国(いずも・のくに)に入る。もしかすると、埴土丸という人物は、出雲の家来だったのかもしれん。」


 大久米(おおくめ)「出雲の家来だったかどうかは、伊佐我様が、よく御存知でしょ?」


 伊佐我(いさが)「知っちょるが、人々からロマンを奪うわけにはいかん。」


 剣根(つるぎね)「さりながら、もし出雲の家来ということなら、援助を拒絶した出雲勢が、この地に攻め込んできた物語かもしれぬということですな?」


 伊佐我(いさが)「そげだ(そうだ)。そげな考え方もできると思うんだに。」


 興世(おきよ)「では、鬼退治の内容に触れておきましょう。サノ様は、剛風彦(たけかぜひこ)を先陣として、鬼を退治したと伝わっておりまする。」


 興世姫の説明を聞いて、次兄の稲飯命(いなひ・のみこと)と剣根(つるぎね)の息子、夜麻都俾(やまとべ) (以下、ヤマト)が過敏に反応した。


 稲飯(いなひ)「ちょっと待ってくんない(ください)。剛風彦(たけかぜひこ)って誰ね? 初耳やじ。」


 ヤマト「先陣を任せたとなれば、超重要人物になりまするぞ!」


 興世(おきよ)「作者も剛風彦について、いろいろ調べたそうですが、よく分からなかったみたいですね。その後の物語にも登場しないので、現地の人間ではないかと予想されておりまする。」


 ミケ「地元の案内役のような立場だったとも考えられるっちゃ。ちなみに、埴土丸と剛風彦の読み方も分からなかったみたいやじ。あくまで、作者の勝手な推測による読み方っちゃ。」


 稲飯(いなひ)「こうなったら、直接、本人に聞けばいいっちゃ。真実はどうなんや?」


 そこで、剛風彦が急遽、召喚された。


 剛風彦「お初にお目にかかりまする。それがしが、剛風彦(たけかぜひこ)にござる。」


 サノ「うむ。解説よろしく頼む。」


 剛風彦「・・・と申されましても、それがしも分かりませぬ。もしかすると、それがしも出雲系の人物だったのかもしれませぬ。」


 ミケ「汝(いまし)も出雲系とは、どういうことっちゃ?」


 剛風彦「鬼退治の話は、出雲が、サノ様に協力するか否か、賛成派と反対派に分かれて争ったことを示唆する物語かもしれぬということです。」


 伊佐我(いさが)「そげだな。そう推測した時、剛風彦と埴土丸は、わしの家来で、賛成派と反対派の代表人物と見ることもできるな。」


 天種子(あまのたね)「本当のところはどうです? 家来にあらしゃいますか?」


 伊佐我(いさが)「人々からロマンを奪うことになるけん(から)、それは言えん。」


 剛風彦「我(わ)が君(きみ)・・・と呼んでいいのか、悪いのか・・・。」


 興世(おきよ)「ちなみに、鬼退治の結果、私たち天孫一行は、多くの矢、剣、鉾(ほこ)を手に入れたと記載されておりまする。多くの矢、剣、鉾・・・これらの武具は、出雲からの援助を表しているのではないでしょうか。」


 するとそこに、一人の怪しい人物が現れた。


 怪しい人物「いい線いっちょるかもしれんし、いっちょらんかもしれんな。」


 剛風彦「あっ!? 埴土丸(はにつちまる)! よくも抜け抜けと・・・。」


 埴土丸「紙面の都合だに! お互い、名前の読み方が分からんモン同士、大いに暴れようぞ!」


 伊佐我(いさが)「名前の読み方? そげなことを気にしちょるんか!」


 埴土丸「そ・・・そげなこと? 伊佐我様には分からんでしょうが、おらには大事なことなんだに。出雲の家来か、鬼なのか・・・そんなことより、名前だっちゃ!」


 ヤマト「とにかく、剛風彦殿を先陣に、我々は埴土丸殿を討伐するんですな。」


 サノ「じゃが(そうだ)。剛風彦よ。この鉾(ほこ)で、奴を倒すのじゃ。」


 剛風彦「御意! この鉾(ほこ)をくらえぃ!」


 埴土丸「グフッ・・・。今回限りの登場にしては、ちゃんと爪痕を残せたんじゃなかろうか・・・ガクッ。」


 伊佐我(いさが)「剛風彦、見事であるぞ!」


 剛風彦「ありがたき御言葉。家門の誉れにござりまする。」


 サノ「話の流れで、剛風彦が出雲の家来のような扱いとなっておりまするな。」


 伊佐我(いさが)「まあまあ、そうかもしれんし、そうでないかもしれんということで・・・。」


 サノ「とにもかくにも、出雲の合力(ごうりき)をいただき、心強く思っておりまする。」


 伊佐我(いさが)「我らは共に天孫じゃ。力を合わせるは、至極当然のこと・・・。」


 ここで長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと) (以下、イツセ)も伊佐我に声をかけた。


 イツセ「伊佐我殿、我らとの交渉に臨んでくださり、真に痛み入りまする。」


 伊佐我(いさが)「新しき国造り・・・出雲の地にて楽しみにしておりまするぞ。」


 イツセ「また会いたいですな。」


 伊佐我(いさが)「わしもじゃ。」


 サノ「伊佐我殿も御達者で・・・。」


 その他の天孫一行「御達者でぇぇ。」×
12


 こうして、サノたちは、出雲の協力を得ることに成功した。

 なお、大宮八幡宮には、退治の時に使った鉾が、神宝として保存されている。


 つづく

JW11【神武東征編】EP11 芸北旅情

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 安芸国(あき・のくに:今の広島県西部)に滞在中の狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)一行は、各地に稲作技術教育や灌漑工事をおこなっていた。


 表題
 
 そんな中、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと) (以下、イツセ)の陣所という地を紹介させてもらった。

 広島市安芸区瀬野の生石子神社(ういしごじんじゃ)である。


 生石子神社
 生石子神社1
 生石子神社2
 生石子神社3
 生石子神社4
 生石子神社5
 生石子神社社殿
 
 その時、目の周りに入れ墨をした大久米命(おおくめ・のみこと)が疑問を呈してきた。


 大久米(おおくめ)「この地で、イツセ様は何をしていたのか、『記紀』も伝承も、何も語ってないんすけど、単独行動をしていたことは間違いないっすよね? その目的は何だったんすか?」

 
 ここで、次兄の稲飯命(いなひ・のみこと)と三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)が解説を始めた。


 稲飯(いなひ)「そこで、この物語では、大胆な推理をしてみたじ。イツセの兄上は、出雲(いずも)の勢力と政治的な交渉をおこなっていたんではないやろか。」


 ミケ「と言うのも、広島県北部、芸北地方(げいほくちほう)に残る伝承に、出雲に協力を要請し、物資を取り寄せたというものがあるんや。」


 サノ「兄上、そんな伝承があるのですか?」


 稲飯(いなひ)「じゃが(そうだ)。それが広島県庄原市(しょうばらし)高町(たかまち)の吉備津神社(きびつじんじゃ)の境内にある今宮神社(いまみやじんじゃ)の伝承やじ。前回、紹介させてもらった『神武天皇聖蹟誌』に、こう書かれちょる。」

 


 <貴重なる関係文書なきため詳細不明なるも、古老の言によれば、広島にご滞在中、当地方まで御巡遊ある中に、出雲方面との関係を生じ、当地にその間、数度御足を止められ御視察あり、物資を出雲方面より御取り寄せ遊ばさる。>

 


 稲飯(いなひ)「この文言を見てみると、“出雲方面との関係を生じ”というのが、出雲との接触ないし交渉をおこなったということやな。」


 ミケ「そして、“物資を出雲方面より御取り寄せ”ということは、出雲が協力を承諾したと受け取れるんや。」


 稲飯(いなひ)「まあ、古老の話による・・・ということやかい(だから)、本当に語り継がれていたのか、この老人の妄想なのかは判然としないところやが・・・。」


 今宮神社全体図
 今宮神社0
 今宮神社1
 今宮神社2
 今宮神社3
 今宮神社4
 今宮神社5
 今宮神社社殿

 大久米(おおくめ)「県北部に伝わる、それ以外の伝承はどうなんすか? 出雲と関わりのある話が残ってるかもしれないっすよね?」


 ミケ「さすがは、大久米! 今回は、そういった視点で見ていきたいと思うんやじ。」

 
ここで、サノの妃、興世姫(おきよひめ)と剣根(つるぎね)の息子、夜麻都俾(やまとべ)(以下、ヤマト)が解説に加わった。


 興世(おきよ)「まず、広島市安佐北区(あさきたく)の亀山にある船山神社(ふなやまじんじゃ)を紹介したいと思いまする。」


 大久米(おおくめ)「確か、この地にも、サノ様の上陸伝承があるんすよね?」


 興世(おきよ)「その通りです。海から遠く離れた船山に停泊したということは、川を遡ったということでしょう。」


 大久米(おおくめ)「なるほど。それで船山という地名なんすね。」


 ヤマト「すぐ傍には、帆待川(ほまちがわ)という川が流れておる。」


 稲飯(いなひ)「それだけじゃないっちゃ。帆待川から東へ
600メートルほどいったところには、太田川(おおたがわ)の支流である根の谷川(ねのたにがわ)も流れておる。」


 大久米(おおくめ)「どちらかの川を遡って、船山に来たってことか・・・。」


 船山神社0
 船山神社1
 船山神社2
 船山神社3
 船山神社4
 船山神社5
 船山神社6
 船山神社と川

 ミケ「我(われ)は帆待川を通って船山に向かい、そこで一泊したあと、根の谷川に向かったと思っちょる。」


 ミケ論

 大久米(おおくめ)「なんで、そう思うんすか?」


 ミケ「根の谷川を遡っていくと、広島県安芸高田市(あきたかたし)に辿り着くんや。」


 根の谷川

 大久米(おおくめ)「その安芸高田市が、出雲と関係あるんすか?」


 ミケ「実は、安芸高田市の八千代町上根(やちよちょうかみね)は、かつて『根村(ねむら)』と呼ばれておって、素戔嗚尊(すさのお・のみこと)が住んだ『根の国』と伝えられてきた土地なんやじ。」


 根村1
 根村2
 根村3

 大久米(おおくめ)「えっ!? あの素戔嗚尊っすか?!」


 興世(おきよ)「ちなみに、素戔嗚尊(すさのお・のみこと)とは、出雲にて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した伝説で有名な神様のことにござりまする。」


 大久米(おおくめ)「補足説明、かたじけないっす。」


 ヤマト「では、出雲の君主、伊佐我(いさが)殿も、安芸高田市の上根に住んでいたということにござりまするか?」


 ミケ「そこまでは断定できんが、安芸高田市に流れる可愛川(えのかわ)の上流には、八岐大蛇伝説もあるかい(から)、芸北地方が出雲の勢力圏だった可能性は高いんやないかと・・・。」


 大久米(おおくめ)「ちょっと待ってください。八岐大蛇伝説は、出雲の宍道湖(しんじこ)に注ぐ、斐伊川(ひいがわ)上流のことっすよ。」


 斐伊川

 ミケ「それが通説やが、『日本書紀』の別の説には、安芸国(あき・のくに)の可愛川(えのかわ)上流という記載もあるんや。」


 斐伊川と可愛川

 稲飯(いなひ)「じゃが(そうだ)。書記編纂当時から、否定できない説の一つとして存在しちょるんやじ。上根から北へ
5キロほど山中に踏み入れば、可愛川上流に行きつくしな・・・。」


 根村から可愛川

 大久米(おおくめ)「し・・・知らなかった。」


 興世(おきよ)「ちなみに、可愛川は、やがて日本海に注ぐ『江(ごう)の川』となりまする。」


 江の川

 ヤマト「補足説明、痛み入りまする。」


 大久米(おおくめ)「でも、ちょっと無理が有るんじゃないんすかね。」


 ヤマト「それはどういうことじゃ?」


 大久米(おおくめ)「可愛川の八岐大蛇伝説と船山の伝承を結び付けるのは、無理が有るってことっす。」


 ヤマト「確かに、大久米の言う通りじゃ。」


 ミケ「そんなことはないっちゃ。可愛川沿いに位置する、安芸高田市吉田町川本には、埃ノ宮神社(えのみやじんじゃ)があるんやかい(だから)。」


 稲飯(いなひ)「じゃが(そうだ)。この神社こそ、『日本書紀』に書かれた埃宮(え・のみや)であるという由緒を持つ神社っちゃ。」


 埃ノ宮神社1
 埃ノ宮神社2
 埃ノ宮神社3
 埃ノ宮神社4
 埃ノ宮神社5
 埃ノ宮神社鳥居
 埃ノ宮神社拝殿

 興世(おきよ)「サノ様の行宮(あんぐう:仮の御所)ですね。」


 大久米(おおくめ)「なるほど。それらのことを考えると、先述の船山の伝承は、可愛川上流を目指す途上で立ち寄った土地ってことになるのか。」


 ミケ「じゃが(そうだ)。そうに違いないっちゃ。」


 稲飯(いなひ)「埃宮を安芸高田市吉田町川本に設置したのは、出雲と連絡を取るためだったと、作者は考えておる。」


 大久米(おおくめ)「出雲と連絡を取るために、この地までやって来たと?」


 ミケ「じゃが(そうだ)。」


 大久米(おおくめ)「なるほど。そして、イツセ様は、交渉を進めるため、事前に動いていたというわけか・・・。」


 ミケ「そう考えちょる。そのために生石子神社(ういしごじんじゃ)に陣所を置き、独自に動いていたんやないかと・・・。」


 EP11全体図

 するとそこに、怪しい男が唐突に現れた。


 怪しい男「いい線いっちょると思うぞ。」


 稲飯(いなひ)「だ・・・誰や?! 汝(いまし)は誰や?!」


 怪しい男「わしか? わしが、出雲の君(きみ)、伊佐我(いさが)じゃ。」


 突然の出雲の君主登場に、サノが驚きながら、声をかけた。


 サノ「こ・・・これは、伊佐我殿。お初にお目にかかりまする。サノにござる。」


 伊佐我(いさが)「貴殿がサノ殿か。新しき国造りに励んでおるとか?」


 サノ「さ・・・左様。されど、まさか、御貴殿が、ここまで足を運ばれるとは・・・。」


 伊佐我(いさが)「待ちきれず、来てしまったぞ。まあ『記紀』にも登場せんし、ここで現れても問題ないだらあ(だろう)?」


 サノ「問題は有りませぬが・・・。」


 大久米(おおくめ)「じゃあ、伊佐我様! ついでに解説も御願いします!」


 サノ「なっ!? 何を言っておるのじゃ、大久米! この方は、一国の君主じゃぞ!」


 伊佐我(いさが)「まあ、良いではないか。ちょっこし(少し)退屈しておったところだ。」


 サノ「で・・・では、よろしいのですか?」


 伊佐我(いさが)「ええぞ。」


 ミケ「では、芸北地方についての説明を御願いするっちゃ。」


 伊佐我(いさが)「うむ。語ろうぞ。」


 こうして、出雲の君主を迎え、解説は更に盛り上がるのであった。

 つづく

JW10【神武東征編】EP10 安芸探訪

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狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)たち天孫一行は、安芸国(あき・のくに:今の広島県西部)に到着した。

 表題

 「古事記」においては、七年も滞在したと記録されており、これは水稲耕作(すいとうこうさく)の伝播と灌漑工事のためだと考えられる。


 サノ「じゃが(そうだ)。陸稲(りくとう)から水稲に換えるよう指導したのじゃ。」

 
 ここで、三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)と、博学の天種子命(あまのたね・のみこと)が解説を始めた。


 ミケ「そんなわけで、今回は、技術伝播に基づく視察事業について触れたいと思うっちゃ。」


 天種子(あまのたね)「我々は、安芸国の各地を巡りながら、水稲耕作の方法を教え、灌漑工事を進めていったんや。」


 ミケ「県内最大の穀倉地帯である、東広島市の西条地区に、我々が立ち寄ったという伝承が残っているじ。」


 西条
 西条2

 天種子(あまのたね)「宮島(みやじま)にも訪れているようで、島の南端に位置する須屋浦(すやうら)に上陸し、しばらく滞在したとの伝承もあらしゃいます。」


 宮島1
 宮島2
 宮島3
 
 ここで、サノの側室、興世姫(おきよひめ)も解説に加わった。


 興世(おきよ)「厳島神社(いつくしまじんじゃ)も、サノ様の時代に鎮座したとされているので、このときに、祀られたものかもしれませんね。」


 厳島神社1
 厳島神社2
 厳島神社鳥居

 サノ「実際、島内の山腹には、巨石を用いた祭祀の痕跡も有り、古代祭祀の面影を残している。もしかすると、我らが祭祀をおこなったのかもしれぬぞ。」


 興世(おきよ)「断言なさらないのですね? もしかして、ロマンを大事にするためですか?」


 サノ「じゃが(そうだ)。ロマンを奪ってはならぬ。」


 ミケ「ちなみに、これらの情報は、
1940年(昭和15)の皇紀2600年記念事業の一環で神武天皇聖蹟調査がおこなわれ、広島県が発行したものによるじ。その名も『神武天皇聖蹟誌』っちゃ。」


 サノ「兄上、たくさんの聖蹟地があったようですな。」


 ミケ「じゃが(そうだ)。上陸地点すら、何か所もあったぞ。」


 興世(おきよ)「まずは、廿日市市(はつかいちし)から見てみましょう。前回紹介した、地御前神社(じごぜんじんじゃ)ですが、何年目のことかは分かりませぬが、
617日に、厳島神社の管弦祭(かんげんさい)、すなわち音楽祭の際、高波が起きたため、この地に船を係留したとも伝わっておりまする。」


 地御前
 地御前神社1
 地御前神社2
 地御前神社3

 ミケ「それだけではないっちゃ。同市の串戸(くしど)にある広田神社(ひろたじんじゃ)には、サノが戸を開き、玉串(たまぐし)を奉ったことにより、串戸と名付けられたという伝承があるじ。」


 広田神社1
 広田神社2
 広田神社3
 広田神社4
 広田神社拝殿

 天種子(あまのたね)「ちなみに、玉串とは、木綿(ゆう)や紙垂(しで)という紙製の飾りをつけた榊(さかき)の枝のことにあらしゃいます。」


 玉串

 興世(おきよ)「宮内(みやうち)という地域には、宮内天王社(くないてんのうしゃ)という神社がありまする。この地は、御手洗川(みたらいがわ)に沿って遡上してきた我々が上陸し、宮を作った故事から、宮内と呼ばれるようになったそうですよ。」


 宮内天王社1
 宮内天王社2
 宮内天王社3
 宮内天王社拝殿

 サノ「次は広島市を見てみようぞ。」


 興世(おきよ)「広島市井口(いのくち)の井口大歳神社(いのくちおおとしじんじゃ)も上陸地点の一つで、この神社の前に船をつなぎ泊めたそうですよ。」


 井口大歳神社1
 井口大歳神社2
 井口大歳神社3
 井口大歳神社4
 井口大歳神社拝殿

 ミケ「同市西区田方(たかた)の草津八幡宮(くさつはちまんぐう)も、近くまで入り江があったと伝わり、西側には行宮(あんぐう:仮の御所)もあったそうやじ。」


 草津八幡宮1
 草津八幡宮2
 草津八幡宮3
 草津八幡宮拝殿

 天種子(あまのたね)「同区古江東町(ふるえひがしまち)の新宮神社(しんぐうじんじゃ)にも上陸伝説がありまする。」


 新宮神社1
 新宮神社2
 新宮神社3
 新宮神社拝殿

 ミケ「江田島(えたじま)などにも足を延ばしているようなので、その時々の上陸地点に社が建てられたのかもしれぬな。」


 サノ「兄上、江田島については次回ですか?」


 ミケ「今回で全てを紹介するのは難しいであろう。次回になるやろうな。」


 サノ「承知致しました。」


 江田島

 ここで、筋肉隆々の日臣命(ひのおみ・のみこと)と椎根津彦(しいねつひこ) (以下、シイネツ)も解説に参加した。


 日臣(ひのおみ)「ただ立ち寄っただけ・・・という地点もあるっちゃ。」


 シイネツ「広島市佐伯区の五日市町石内(いつかいちちょういしうち)の臼山八幡神社(うすやまはちまんじんじゃ)やに。」


 臼山八幡神社1
 臼山八幡神社2
 臼山八幡神社3
 臼山八幡神社拝殿

 日臣(ひのおみ)「それだけじゃないっちゃ。同市安佐北区亀山の天王神社(てんのうじんじゃ)にも立ち寄ったという伝承が残ってるんやじ。」


 天王神社1
 天王神社2
 天王神社3
 天王神社4
 天王神社拝殿

 ミケ「休憩でもしたのか?」


 シイネツ「まあ、そんな感じでしょうな。」


 天種子(あまのたね)「いろいろ廻り過ぎて、覚えておられぬようですな。」


 サノ「我(われ)は全て覚えておるぞ。」


 天種子(あまのたね)「さすがは我(わ)が君(きみ)にあらしゃいます。」


 日臣(ひのおみ)「さて、解説の続きを致しまするぞ。東広島市にも来訪伝承地があるじ。」


 興世(おきよ)「福富町(ふくとみちょう)上竹仁(かみだけに)の森政神社(もりまさじんじゃ)のことですね。」


 森政神社1
 森政神社2
 森政神社3
 森政神社拝殿

 日臣(ひのおみ)「もうひとつあるっちゃ。西条町(さいじょうちょう)寺家(じげ)の新宮神社(しんぐうじんじゃ)っちゃ。」


 新宮神社寺家1
 新宮神社寺家2
 新宮神社寺家3
 新宮神社寺家4
 新宮神社寺家拝殿

 シイネツ「新宮神社の手水石(ちょうずいし)は、サノ様の腰掛石(こしかけいし)と伝わっているんやに。ちなみに、手水とは、手と口を洗い清めることで、その場所の石として利用されているみたいっちゃ。」


 新宮神社寺家手水石

 ミケ「いろいろ廻っていたのだな。」


 興世(おきよ)「かなりですね。なかなかの量で、調べるのがつらかったと、作者も言っておりましたよ。」


 天種子(あまのたね)「読み方も、難しかったみたいですなぁ。」


 ミケ「地元特有の読み方もあるかい(から)、それは仕方なか。」


 シイネツ「じゃっどん、なして(なぜ)こんなにたくさんの所を廻っておられるのですか?」


 サノ「稲作に適した土地、そうでない土地、つぶさに見て、ここに必要なのは、どれなのか・・・。視察して決めていったのじゃ。」


 シイネツ「なるほど。」


 EP10全体図
 
 ここで、目の周りに入れ墨をした大久米命(おおくめ・のみこと)が質問を投げかけてきた。


 大久米(おおくめ)「我が君! 一つ教えてくれませんか?」


 サノ「何じゃ?」


 大久米(おおくめ)「広島市の市街地と東広島市の中間地点にあたる、広島市安芸区瀬野(せの)というところに、生石子神社(ういしごじんじゃ)というのがあるんすけど・・・。」


 生石子神社

 サノ「ああ、イツセの兄上が陣所を置いていたところか・・・。」


 大久米(おおくめ)「そうっす。瀬野という地名も、彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)が語源なんだとか・・・。」


 興世(おきよ)「瀬・・・しか合ってないけど・・・。」


 大久米(おおくめ)「そこは別に気にしてないっす。それより、どうしてイツセ様だけの陣所が有るんすか? 単独行動してたってことっすか?」


 ミケ「それについては、次回、説明するっちゃ。ぜってい、見てくれよな!」


 サノ「兄上?」


 大久米(おおくめ)「何で?」


 興世(おきよ)「言いたかっただけでは・・・。」


 そこへ、話題の人物、彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと。以下、イツセ)がやって来た。


 イツセ「サノよ。ただいま帰還したぞ。」


 サノ「兄上! 御足労をお掛け致しまする。首尾の方は如何(いかが)相成りましたか?」


 イツセ「上首尾や。そろそろ、汝(いまし)が動かにゃならんぞ。」


 サノ「ついに来ましたか。」


 大久米(おおくめ)「ちょっと、サノ様! 俺の質問に答えてくれないんすか!」


 サノ「安心致せ。次回、説明するとミケの兄上も申していたであろう。」


 大久米(おおくめ)「そんなぁ!」


 ミケ「大久米よ。安心せい。次回には分かるっちゃ。ぜってい、見てくれよな!」


 興世(おきよ)「ミケ様・・・。絶対、言いたかっただけですよね?」

 
 次回は、広島県北部の芸北地方(げいほくちほう)に残る伝承をもとに、話を進めていきたいと思う。

 つづく

JW9【神武東征編】EP9 安芸の怪煙

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 狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)ら天孫一行は安芸国(あき・のくに)に辿り着いた。

 現在の広島県西部である。

 
 ここで一行は空高く昇る煙を見た。

 怪しい煙
 
 黒い煙が幾筋にも分かれ、空を覆い尽くさんばかりである。

 
 その光景を訝(いぶか)しく眺めながら、一行は、広島湾内に突き出す岬に停泊した。

 松が、うっそうと生い茂る森である。

 森に到着

 そこに、一人の男が現れた。


 謎の男「よう、来(き)んさったのう。」


 サノ「い・・・汝(いまし)は誰ぞ?!」


 謎の男「わしですか? わしが、この地を治める、安芸津彦(あきつひこ)じゃ。」


 サノ「あ・・・安芸津彦?」


 安芸津彦「天孫一行がやって来ると聞き、今か、今かと待っとりました。」

 
 ここで、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと) (以下、イツセ)が代わって尋ねた。


 イツセ「では、安芸津彦殿。汝(いまし)は、我らを歓迎すると?」


 安芸津彦「そがんこと(そんなこと)当たり前じゃあ。たいがたい(慈悲深い)天孫御一行様の来訪を歓迎せんで、どう、せいっちゅうんですかいのう。」


 イツセ「い・・・いやあ、まあ・・・そうやなっ。」


 サノ「ところで、安芸津彦。あの煙は何じゃ?」


 安芸津彦「ああ、あれは御一行を歓迎するために、烽火(のろし)を上げたんじゃ。」


 サノ「歓迎するため? されど、なにゆえ烽火なのじゃ?」


 安芸津彦「そりゃあ、おっけえ(大きい)烽火を見たら、喜んでくれると思うて、作ったんじゃ。ビックリしたじゃろ?」


 サノ「しょ・・・正直に申さば、皆が訝しく思っておった。すまぬ。」


 安芸津彦「なっ!? なんという正直な御心。わしは感服仕りましたぞ。」

 
 皆が戸惑いを隠せぬ中、次兄の稲飯命(いなひ・のみこと)が安芸津彦に尋ねた。


 稲飯(いなひ)「ところで、安芸津彦殿。あの煙はどこから上げとるんや?」


 安芸津彦「よくぞ聞いてくんさった。あれは、二千年後の広島市と言うところの西部にある山から、烽火を上げとるんじゃ。これを記念して、山に火がついとるけぇ、火山(ひやま)と名付けるつもりじゃ。ちなみに、標高
488メートルじゃ。」


 火山1
 火山2
 火山3
 火山4
 火山5

 その後、安芸住民による、天孫御一行様歓迎式典が行われた。


 
 <安藝都彦(あきつひこ)、出迎えて奉饗(ほうきょう)せりとの傳説(でんせつ)あり>

 

 地元の歴史を編纂した「廣島縣史」には、そう記されている。

 ちなみに、火山(ひやま)であるが、現在、山頂には「神武天皇烽火伝説地」の碑が立っている。


 火山の石碑

 また、湾内に突き出た岬の森は誰曽廼森(たれそのもり)と呼ばれるようになった。

 サノが上陸した際、土地の者に「汝は誰ぞ?」と訊ねた伝承によるものである。

 
 たれその森1

 その森の、すぐ傍に、サノたち天孫一行は行宮(あんぐう。仮の御所)を建てた。

 これが、現在の広島県府中町にある、多家神社(たけじんじゃ)である。

 「古事記」に記された多祁理宮(たけり・のみや)の跡地であるとの伝承が残る。


 多家神社1
 多家神社2
 多家神社3
 多家神社4
 多家神社拝殿
 多家神社
 
 ここで、五十手美(いそてみ) (以下、イソ)と味日命(うましひ・のみこと)が解説を始めた。


 イソ「さきほど『古事記』に記されたと表現されておったが、それには理由がある。なんと『日本書紀』では宮の名前が違うのじゃ『書記』の方は、埃宮(え・のみや)といい、同一の宮を指すのか、それとも違うのか、今となっては、よく分からぬ。」


 味日(うましひ)「多家神社(たけじんじゃ)では、同一の宮として扱っているみたいっちゃ。じゃっどん、埃宮(え・のみや)の跡地といわれる、別の神社も有り、諸説紛々という状況やじ。埃宮伝承地については、後日、お伝えするっちゃ。」

 
 もう一つ、「古事記」と「日本書紀」で異なるところがある。

 
 滞在期間である。

 
 「古事記」では七年、「日本書紀」では二か月余りと、大きく違うのである。

 この理由も定かではないが、七年という期間があれば、稲作の方法を教え、灌漑技術を整えることも可能であろう。


 水稲耕作が、九州から本州へと広がっていったことは、考古学的にも証明されている。

 誰かが伝えたことは間違いのない事実なのである。

 各地に伝わるサノの伝承は、技術が伝播された際の出来事が、初代天皇と結び付いたものなのかもしれない。


 安芸津彦「勝手にまとめるなっ! まだ上陸地点の紹介が済んでないじゃろう!」


 サノ「誰曽廼森(たれそのもり)に上陸したと、先ほど説明があったであろう?」


 安芸津彦「実は、他にも地御前に上陸したという伝承もあるんですわ。」


 稲飯(いなひ)「他にもあるんか?!」


 安芸津彦「そうなんです。こっちの伝承では、わしは廿日市市(はつかいちし)の地御前(じごぜん)に上陸した天孫御一行を倉重(くらしげ)でお迎えしたことになっとるんです。地御前神社(じごぜんじんじゃ)の神社西側の入り江を有府水門(ありふのみなと)と言い、ここから上陸したという伝承があるですわ。その後、サノ様が火山に登られ、烽火を挙げとります。」


 地御前と倉重
 地御前と倉重2
 地御前
 地御前神社1
 地御前神社2
 地御前神社3
 地御前神社拝殿
 倉重

 サノ「烽火を挙げたのは、我(われ)だったという話か・・・。」


 安芸津彦「ほうです(そうです)。それが終わった後、休山(やすみやま)で休まれて、下山されました。そして、山本の出口から船に乗られ、祇園の帆立で帆を張って進まれて、対岸の戸坂(へさか)に上陸されたんです。そこから中山峠を越えて、森に入ったみたいですな。」


 火山から帆立
 帆立から戸坂
 戸坂から多家神社
 火山伝説

 サノ「どのルートでも問題はない。大事なのは、安芸国に入ったことぞ。」


 稲飯(いなひ)「じゃが(そうだ)。それより、安芸津彦自身の紹介も必要なのではないか?」


 イソ「そうですな。では、安芸津彦殿、自己紹介を頼みまする。」


 安芸津彦「わしが安芸津彦(あきつひこ)じゃ。安芸国造(あき・のくに・のみやつこ)の祖と言われとる。国造(くにのみやつこ)っちゅうのは、前回、紹介した通り、地方長官みたいなやつじゃな。それと、正式に国造に就任したんわ、わしの五世孫(玄孫:やしゃご)にあたる飽速玉命(あきはやたま・のみこと)じゃ。」

 
 力説する安芸津彦に大久米命(おおくめ・のみこと)が合いの手を入れる。


 大久米(おおくめ)「第十三代目の成務天皇(せいむてんのう)の時代っすね。」


 安芸津彦「ほうじゃ(そうだよ)。それと、わしは『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』では、天湯津彦命(あまのゆつひこ・のみこと)として登場しとるんじゃ。」

 
 続いて、三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)が合いの手を入れる。


 ミケ「中つ国に降臨なされた、饒速日(にぎはやひ)殿を中心に書かれた書物のことっちゃね。」


 サノ「で・・・では、汝(いまし)はニギハヤヒ殿を知っておるのか?」


 安芸津彦「知っとるも何も、一緒に降臨した仲じゃけぇ。」

 
 安芸津彦の告白を聞いて、天種子命(あまのたね・のみこと)が過敏に反応した。


 天種子(あまのたね)「えっ!? ほんまか? では、我(われ)のじいちゃんも知っておるのか?」


 安芸津彦「こやねっちゃん(天児屋根命〔あまのこやね・のみこと〕)のことは、よう知っとるよ。」


 天種子(あまのたね)「わ・・・我のじいちゃんを、こやねっちゃ・・・。」


 稲飯(いなひ)「天種子のじいちゃんは、ニギハヤヒ殿と一緒に降臨して、また天に戻って、我(われ)のひいじいちゃんと、改めて降臨してるんやったな。」


 天種子(あまのたね)「また天に戻ってるんが、よく分からんのやけど・・・。」


 サノ「まあ、良いではないか。それより、安芸津彦よ。他に、解説せねばならぬことはあるか?」


 安芸津彦「そうですのう。わしは阿尺国造(あさか・のくに・のみやつこ)、信夫国造(しのぶ・のくに・のみやつこ)、伊久国造(いく・のくに・のみやつこ)などの祖でもありますな。」


 大久米(おおくめ)「阿尺(あさか)は福島県郡山市周辺、信夫(しのぶ)は福島県福島市周辺、伊久(いく)は宮城県角田市(かくだし)周辺のことっすね?」


 安芸津彦「よう勉強しとるのう。そうじゃ。」


 三つの
 三つの国造

 イソ「広島から遠く離れし、東北地方の国造の祖ともなっているのをみると、安芸津彦殿の一族は、大和朝廷内でも信任の厚い一族だったのでしょうな。」


 安芸津彦「褒めても何も出んぞ。」


 ミケ「それだけじゃないっちゃ。安芸国府の在庁官人(ざいちょうかんじん)で、平安時代には、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の祭祀を司り、勅使代(ちょくしだい)も務めてきた田所家(たどころ・け)も、安芸津彦の子孫であると伝わってるんやじ。」


 厳島神社1
 厳島神社2
 厳島神社鳥居

 サノ「兄上。在庁官人とは?」


 味日(うましひ)「それについては、俺が説明するっちゃ。在庁官人というのは、地元の有力者が、地方官を務めるということやじ。勅使代っちゅうのは、天皇の使者の代行役ということっちゃ。イソ殿が申していた通り、信任の厚い一族やったんでしょうね。」


 安芸津彦「褒めても何も出んぞ。」


 サノ「されど、それだけ忠誠心の厚い男であったというのは間違いなかろうな。」


 安芸津彦「なんと・・・。お褒めの言葉をいただき、真に嬉しい限りにござりまする。」


 味日(うましひ)「さっきまでと全然違うっちゃ!」


 サノ「それよりも、まずは水稲耕作教室と灌漑公共工事じゃ。いろいろ視察もせねばな。」


 イソ「安芸国の各地を巡るのですね?」


 サノ「じゃが(そうだ)。稲作に適した地、そうでない地、いろいろと見定めねばなるまい。」


 イツセ「そのためには、安芸津彦殿に先導を御願いせねばならぬな。」


 安芸津彦「この地は、我が庭のようなもの。お任せくだされ!」


 サノ「うむ。頼んだぞ。」

 
 こうして安芸国振興作戦が開始されたのであった。

 つづく

JW8【神武東征編】EP8 竹島たそがれ

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 さて、狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)たち天孫一行は、竹島(山口県周南市平野)の丘陵に行宮(あんぐう)(仮の御所)を設(もう)けて滞在していた。

 竹島への道
 平野1
 平野と微明
 行宮
 
 「記紀(きき)」には書かれていないが、この地に立ち寄った一行は、半年ほど滞在したと伝わっている。

 
 ここで椎根津彦(しいねつひこ) (以下、シイネツ)が解説を始めた。


 シイネツ「ここから先は、わしも水先案内ができないんやに。そこで、今後の方針を定めるために、半年ほど滞在したのではないかと・・・。」


 サノ「作者の考えか?」


 シイネツ「御意! じゃっどん、うちも瀬戸内の海については、隅々(すみずみ)までは分かりもうさぬ。不得手(ふえて)にござりまして・・・。」


 サノ「崗(おか)まで案内してくれただけでも助かった。恩に着るぞ。」


 シイネツ「かたじけなしっ。」

 
 そこへ、小柄な剣根(つるぎね)と息子の夜麻都俾(やまとべ) (以下、ヤマト)が解説に加わった。


 剣根(つるぎね)「なお、行宮についてですが、現在は、神上神社(こうのうえじんじゃ)となっておりますぞ。」


 ヤマト「地名は下上見明(しもかみみあけ)といい、境内には御腰掛石(おこしかけいし)なども残っておりまする。かつては、神社の下の里あたりまで海だったみたいですね。」


 神上神社1
 神上神社2
 表題
 神上神社神門
 神上神社拝殿
 神上神社御腰掛石

 その後、サノは、今後の進路を決めるため、同神社の近くにある、四方を見渡せる山に登った。

 見渡せる山

 山頂に辿り着き、遥か彼方を眺めていると、急に四頭の熊が現れた。


 サノ「なっ・・・なんじゃ!」

 
 四頭の熊は、サノを見ると地に伏(ふ)し額(ぬか)づいた。

 恭順(きょうじゅん)の意を示してきたのである。

 この熊は、荒くれ者や未開の地の人間のことではないかという考えもある。


 シイネツ「この出来事をもとに、山は『四(よ)ツ熊(くま)の峯(みね)』と名付けられたんやに。現在の四熊ヶ岳(しくまがだけ)のことっちゃ。その後、四熊ヶ岳は神聖な場所とされ、数十年前までは女人禁制だったそうやに。」


 四熊ヶ岳
 
 とにもかくにも、山の頂(いただき)から四方を眺めつつ、今後についての事前打ち合わせがおこなわれたのである。

 
 出席者は、下記の通り。

 サノ、彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと) (以下、イツセ)、
 稲飯命(いなひ・のみこと)、三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)、
 天種子命(あまのたね・のみこと)、五十手美(いそてみ) (以下、イソ)、
 味日命(うましひ・のみこと)、大久米命(おおくめ・のみこと)、
 興世姫(おきよひめ)、シイネツ、
 手研耳命(たぎしみみ・のみこと) (以下、タギシ)、剣根(つるぎね)、
 日臣命(ひのおみ・のみこと)、ヤマトの十四名である。


 サノ「安芸国(あき・のくに)(今の広島県西部)に行くのは当然として、そのあとはどうするべきか・・・。」


 興世(おきよ)「安芸の人たちに稲作技術を伝えるのでは?」


 サノ「それは既に決まったことじゃ。彼(か)の地は、まだ陸稲(りくとう)らしいからな。」


 大久米(おおくめ)「それでは、水稲耕作(すいとうこうさく)にするための灌漑技術(かんがいぎじゅつ)も伝えないとダメってことですね?」


 天種子(あまのたね)「せやな。広い土地なら、何年もかかるやろうな。」


 イツセ「それと同時に、あの勢力にも接触せねばなるまいな。」


 ミケ「あの勢力? どの勢力っちゃ?」


 稲飯(いなひ)「あほう! 出雲(いずも)に決まっとろうが!」


 イツセ「まあまあ、稲飯。ミケも読者のために、とぼけたんやかい(だから)、許してやれ。」


 ミケ「そ・・・そういうことにしておいてくんない(ください)。」


 イツセ「出雲を治めておる、伊佐我(いさが)殿に使者を送り、協力を要請するんや。」


 サノ「出雲は協力してくれるでしょうか?」


 稲飯(いなひ)「我々の動きについて、出雲が、どう受け止めているかにかかっちょるな・・・。」


 イツセ「まあ、それは追々、分かることであろう。」


 ヤマト「イツセ様・・・。ほかに、何か必要なことは?」


 イツセ「船もぎょうさん(たくさん)必要やじ。」


 日臣(ひのおみ)「それはどういうことっちゃ? 船を作って何をするんです?」


 イツセ「これからは、当然、戦(いくさ)も考えられる。大きい船に“ひとかたまり”やと、すぐに負けてしまうかい(から)、船団を作らにゃならん。」


 味日(うましひ)「本当に戦になるんでしょうか?」


 イツセ「そうなった時のために、支度(したく)だけはしとかにゃな。」


 剣根(つるぎね)「場合によっては、新たに、人を集めねばならぬかもしれませぬな。」


 イソ「人はどうとでもなるでしょうが、船は如何(かが)いたしまする? 木材をどこから調達するか・・・。」


 イツセ「そこなんやが、伊予二名島(いよのふたなのしま)(今の四国)に駐在しておる、小千命(おち・のみこと)にお願いして、木材を調達してもらうんが、よかち思うんやが、どうやろ?」


 サノ「オチかぁ! 久々に会いたいのう!」


 イツセ「その、オチに何とか報(しら)せを送り、木材調達を頼みたいんやが・・・。」


 シイネツ「す・・・すみません。オチって誰ですか?」


 ミケ「わしらの遠い親戚っちゃ。ひいひいばあちゃんのお父さんの末裔(まつえい)やじ。」


 稲飯(いなひ)「大山祇神(おおやまづみのかみ)の末裔っちゅうことや。」


 シイネツ「ひいひいばあちゃんって、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)ですよね?」


 サノ「じゃが(そうだ)。簡単に言えば、富士山のことじゃ。行ったことはないがな・・・。」


 イツセ「まあ、とにかく、シイネツに代わる水先案内人を見つけ出し、小千(おち)のもとに使者を送らねばな・・・。」


 シイネツ「水先案内人に関しては、うちにお任せくだされ。海の民の一族衆に、手配をしておりまする。」


 サノ「仕事が早いな。」


 タギシ「父上・・・。新たな水先案内人が見つかるまで、しばらく時がかかりましょう。とりあえず、我々は安芸の地に向かっては?」


 サノ「うむ。そうしよう。では、出航の準備にとりかかれっ。」

 
 こうして、竹島の「たいらの里」を去り、一行は安芸国(あき・のくに)に向かったのであった。

 
 この地を去る時、サノはこう言ったという。


 サノ「どこに行こうと、我(われ)の心はここにある。我を祀(まつ)れば、この地の守り神になろうぞ。」


 村人「そこで創建(そうけん)した神社が、冒頭に紹介した神上神社(こうのうえじんじゃ)じゃ。二千年後も、ちゃんと祀っておりますから、御安心くだされ。」


 サノ「解説かたじけなしっ。皆(みな)も達者(たっしゃ)でな・・・。」


 村人たち「サノ様も、皆さまも、お達者でっ!」×多数


 サノ「では・・・船は海を行け。わしは陸を行く。」


 イソ「我が君だけ、陸を行かれるんですか?」


 サノ「竹島の伝承では、そう語り継がれておるのじゃ。海の難所である周防灘(すおうなだ)を避(さ)けたとも考えられるな。」


 ミケ「しかし、この物語では、船で赴いたことにさせてもらうじ。というのも、このあとで烽火伝説(のろしでんせつ)という伝承があるんや。」


 サノ「烽火? それはどういうことです?」

 
 それは一行が広島湾(ひろしまわん)に入った時に起こった。


 安芸へ

 タギシ「もう少しで安芸の地ですぞ、父上。湾から岬のように突き出した森が見えまする。あそこに上陸いたしまするか?」


 サノ「そうしようぞ。」


 興世(おきよ)「あれは・・・あれは何でしょうか?」


 イツセ「なんや?」


 興世(おきよ)「あすこから・・・向こうから怪しげな煙が・・・。」


 サノ「なんじゃ? すごい量の煙ではないかっ。」

 
 怪しい煙

 
空高く昇る煙を見据えながら、一行は安芸の地に辿り着いたのであった。

 つづく

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